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福岡地方裁判所 昭和33年(ワ)635号 判決

原告 西田米作

被告 国

訴訟代理人 船津敏 外三名

主文

被告が原告に対し昭和三十一年九月二十二日なした解雇は無効であることを確認する。

被告は原告に対し金四十八万五千五百三十四円並びに昭和三十三年六月一日以降雇傭契 約終了に至るまで毎月金二万八百七十七円あてを翌月十日までに支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文と同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、原告は、昭和二十五年七月七日から米極東空軍二七一六火薬補給部隊(通称山田部隊、以下「山田部隊」と略称する)の消防夫として被告に雇傭され、その後同部隊の消防自動車運転手として勤務していたが、昭和三十年十一月八日附で「日本人及びその他の日本在住者の役務に関する基本契約及び同附属協定第六九号(以下「労務基本契約」及び「附属協定」と略称する)に基く「保安上の理由」という名目で出勤停止処分を受け。次いで昭和三十一年九月二十二日附で右と同じ理由によつて解雇された。

二、しかしながら、右解雇は次のような理由によつて無効である。

(一)  本件解雇は、労務基本契約及び附属協定によつて定められた解雇権制限の基準に違反している。

被告は、労務基本契約及び附属協定によつて、日本に駐留するアメリカ合衆国軍隊(以下「駐留軍」と略称する)の保安上危険な駐留軍労務者を解雇できる権限を確認されている反面、保安上危険でない労務者を解雇してはならないという解雇権の自己制限を受け、附属協定に定める保安基準のいずれかに該当する場合でなければ、「保安上の理由」によつて解雇することはできないものである。ところで、原告は駐留軍の保安上危険な労務者ではないし、また駐留軍の保安について危険を及ぼすような行為をしたこともない。従つて、本件解雇は労務基本契約及び附属協定によつて定められた解雇権制限の基準に違反しているから無効である。

(ニ) 本件解雇は、労働契約における信義則に反し且つ解雇権の濫用である。

駐留軍労務者が客観的に保安基準に該当する場合にのみ、「保安上の理由」による解雇をなすということは、労務基本契約及び附属協定によつて、駐留軍、日本国政府及び労務者間の労働関係を支配する信義則の内容となつているのであるが、原告は保安基準に該当する客観的事実がないのに「保安上の理由」によつて解雇されたのである。これは被告もしくは原告の使用主である駐留軍の単なる主観的判断によるものであり、しかもこれによつて原告は職を失い路頭に迷わなければならない結果となるのである。従つて、かような本件解雇は信義則に反し且つ解雇権の濫用であるから無効である。

(三)  本件解雇は、不当労働行為である。

原告は昭和二十八年五月山田部隊労務者によつて全駐留軍労働組合(以下「全駐労」と略称する)小倉支部山田分会が組織された際、その結成運動に参加し、同分会結成とともにその執行委員に選任され、昭和二十九年三月山田分会長兼小倉支部執行委員、青年婦人部長となり、昭和三十年四月山田分会書記長兼小倉支部執行委員となつたが、本件解雇にともない小倉支部執行委員を辞任し山田分会書記長となつたものである。この経歴の示すように、原告は全駐労小倉支部山田分会の結成以来組合役員を歴任し、山田分会及び小倉支部における中心的な組合活動家の一人として活動してさたのであるが、特に山田分会の組合員は山田部隊周辺の農家出身者が多く且つ部隊の所在地が都心部を離れた山間地帯にあるため組合意識が一般に低調で、分会結成後の昭和二十八年の全駐労の統一斗争にも同分会だけは参加できない程の状態であつたため、終始その組合意識を昂揚せしめて組合員の結束を図ることに努力してきたのである。

しかして、原告は昭和二十八年の全駐労の統一斗争後、駐留軍の圧迫によつて山田部隊の消防係の労務者十数名が山田分会を脱退した際には、その脱退を防止すべく奔走し、原告一人だけは最後まで脱退しないで組合に留まり、昭和二十九年三月山田分会長に選出されてからは、同年夏頃起きた山田部隊労務者村上賢児の班長不当格下げ問題を取上げて山田分会組合員の組合意識の昂揚に努力し、種々の大衆運動の結果右村上問題を解決することに一応成功したが、昭和三十年に至つて右村上賢児外数名が保安上の理由で出勤停止になり村上以外の者は間もなく復職したのに村上だけが復職を認められないという事件が起きるや、同人に対する出勤停止処分を撤回させるため実力行使をも含むあらゆる斗争態勢をとるよう準備したところ、その最中の同年十一月八日原告自身が「保安上の理由」で出勤停止の通告を受け、次いで昭和三十一年九月二十二日右と同じ理由で解雇されたのである。

ところで、右のような組合運動は当時駐留軍から極端な悪意をもつてみられ、ことに山田部隊は基地内における組合員の会合や説得を禁止する旨の掲示をしたりして組合活動を圧迫する方針をとつていたが、なかでも原告はその組合活動のゆえに忌み嫌われ、原告に対してのみは勤務が終り次第直ぐ帰れと督促されたり、或る時は某軍曹に呼ばれて組合を脱退せよと強要され、また前記村上問題が起きてからは日頃原告と挨拶を交わしていた山田部隊の司令官の態度も一変し、原告の挨拶に対して横を向くという有様で、原告の組合活動はたえず有形無形の圧迫を加えられていた。

以上のような、原告の全駐労小倉支部及び山田分会における地位、原告の日頃の熱心な組合活動、山田部隊関係者の組合活動に対する一般的な悪意、特に原告の組合活動に示された嫌悪、圧迫等の諸事情と、村上賢児に対する出勤停止処分問題をめぐつていよいよ山田分会の実力行使計画が軌道に乗ろうという矢先に、しかも原告が何ら保安基準に該当しないのに「保安上の理由」で解雇されたという事実を併せ考えると、本件解雇は「保安上の理由」に名を籍りた組合弾圧とみるほかなく、原告に対する解雇の決定的な動機は原告の正当な組合運動に対する圧迫にあつたものといわなければならない。

従つて、本件解雇は労働組合法第七条第一号の禁止する不当労働行為として無効である。

三、前記二によつて明らかなように、本件解雇は無効であり、従つてまたそれと同じ理由によつてなされた出勤停止処分も無効なものというべきところ、原告が昭和三十年十一月八日出勤停止処分を受けるまでの過去一年間における平均賃金手取月額は二万八百七十七円であつたが、原告は右出勤停止処分以降昭和三十一年九月二十二日解雇されるまでの間は右賃金の六割を支給され、解雇されたのちは一切の賃金の支給を受けていない。

従つて、原告が不当な出勤停止処分を受けたことによつてえられなかつた賃金額は一ヶ月平均八千三百五十一円で、出勤停止期間中の合計額は八万三千三百四円であり、また解雇されて以降昭和三十三年五月末日までに原告がえられなかつた賃金合計額は四十万二千二百三十円である。よつて、原告が出勤停止及び解雇によつて失つた賃金額は、昭和三十三年五月末日までの分を総計すると四十八万五千五百三十四円となるが、この金員は現在原告が被告に対して請求できるものである。

なお、本件解雇が無効である以上、被告は原告に対し昭和三十三年六月一日以降雇傭契約が終了するまで毎月二万八百七十七円の賃金相当額を翌月十日までに支払うべき義務がある。

と述べ

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決並びに被告敗訴の場合には担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求め、答弁として、

一、請求原因一の事実を認める。

二、請求原因二の(一)、(二)の主張はいずれも争う。

請求原因二の(三)の各事実中、昭和二十八年五月山田部隊勤務の労務者によつて全駐労小倉支部山田分会が組織されたこと、原告が昭和二十九年三月及び昭和三十年四月全駐労小倉支部執行委貝に選出されたこと、昭和二十八年の全駐労の統一斗争に山田分会が参加しなかつたこと、右全駐労の統一斗争後、山田部隊勤務の消防係労務者十名が山田分会を脱退したこと、昭和二十九年四月頃山田部隊労務者村上賢児の班長格下げ問題があつたこと、昭和三十年一月から同年六月までの間において村上賢児外三名が保安上の理由で出勤停止になつたこと、昭和三十年十一月八日原告が「保安上の理由」で出勤停止の通告を受け、次いで昭和三十一年九月二十二日右と同じ理由で解雇されたことはいずれも認めるが、その余の事実は知らない。

三、本件解雇についての被告の主張は次のとおりである。

(一)  本件解雇は、労務基本契約及び附属協定に違反しない。

原告に対する本件解雇は、附属協定「在日米軍の保安に関する協定」第一条a項の(二)に定める基準に該当するものとして附属協定の手続に従つてなされたものである。安全保障条約第三条に基く行政協定、労務基本契約及び附属協定の規定によると、いわゆる保安解雇については、保安基準に該当するか否かの判断は終局的には駐留軍の主観的判断に委ねられているのであつて、駐留軍において保安基準に該当するものと判定して労務者の解雇を求めた場合、被告はこれに従い解雇せざるを得ないのである。すなわち、本件解雇は附属協定所定の手続に従つてなされたものであるから有効であるといわなければならない。

(二)  本件解雇は、信義則違反でなく、また、解雇権の濫用でもない。

本件解雇は前記のごとく、駐留軍において附属協定第一条a項の(2) に定める基準に該当するものと判断し、日本国政府はその判断に拘束される関係から、附属協定所定の手続に従つてなしたものであつて、このような立場にある駐留軍労務者は一般の雇傭契約における労務者に比し、もともと不安定な地位に置かれているものである。従つて、右のような本件雇傭契約の特殊性に鑑みるときは、本件解雇がたとえ駐留軍の主観的な判断に基くものであつても、信義則に違反するものでもなく解雇権の濫用にわたるものでもない。

(三)  本件解雇は、純粋に保安上の理由に基くものであつて不当労働行為ではない。

本件解雇は原告の組合活動を理由としてなされたものではない。すなわち、本件解雇は駐留軍が原告の活発な組合活動を忌み嫌い、組合活動に熱心な原告を職場から排除しようとしてなされたものであると原告は主張しているが、駐留軍においても労働組合運動が健全な労働関係を維持するものであることの充分な認識を有し、もし組合活動に対して支配介入するようなことがあれば、軍の方針として速かにその排除措置を講じている。従つて、活発な組合活動家であつた故をもつて駐留軍が原告を解雇し、更に組合を弾圧せんとするがごとき意図は毫も存在しないのであり、本件解雇は純粋に「保安上の理由」に基いてなされたものであつて不当労働行為の介在する余地は全くないのである。

四、前記のように、附属協定に基く保安解雇における保安基準該当の事実については、専ら駐留軍の主観的判断のみに基いてなされ、これが具体的事実を明示することを要しないし、またひいてはその立証責任も被告にはない。しかしながら、駐留軍のとつた本件解雇の措置について何等その具体的理由を証明しない場合において、本件解雇が不当にも原告の組合活動に決定的動機を有するかのごとく誤解されることを避けるため、敢て保安基準該当の事実があつたことを主張する。

すなわち、昭和三十三年四月五日付調労発第五一二号をもつて調達庁労務部長より福岡県知事にあてた附属協定第五条d項の措置としてとられた調達庁長官の意見書を内容とする回答書によれば、本件原告の保安基準該当の容疑事実が明らかにされている。右のように調達庁の調査結果にして既に保安基準該当の事実を明らかにし得たのであるから、駐留軍の本件解雇が保安容疑に基いてなされたものであることは全く疑を容れる余地のないところである。

五、請求原因三の事実中、原告が昭和三十年十一月八日出勤停止処分を受けるまでの過去一年間における平均賃金手取月額が二万八百七十七円であつたことは認めるが、その余の事実はこれを争う。

と述べた。

立証〈省路〉

理由

一、原告が昭和二十五年七月七日から山田部隊の消防夫として被告に雇傭され、その後同部隊の消防自動車運転手として勤務していたところ、昭和三十年十一月八日附で労務基本契約及び附属協定にいわゆる「保安上の理由」という名目で出勤停止の通知を受け、次いで昭和三十一年九月二十二日附で右と同一の理由によつて解雇の通告を受けたことは当事者間に争がなく、また成立に争のない乙第二、三号証の各一、二によると、本件解雇は附属協定第一条a項の(2) の基準に該当するものとしてなされたものであることが一応認められる。

二、ところで原告は右解雇が無効であると主張するので以下順次検討することとする。

(一)  まず、本件解雇が原告の主張するように労務基本契約及び附属協定によつて定められた解雇権制限の基準に違反し無効であるかどうかについて判断する。

日本国は、アメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定により、日本に駐留する合衆国軍隊のために労務者を提供するのであるが、両国間に締結された労務基本協定及び右行政協定第十二条、昭和二十七年法律第百七十四号国家公務員法等の一部改正法律によれば、労務者は駐留軍の指揮監督に服して勤務するものであつて、駐留軍に使用されるけれども、雇傭主は日本国であるといつた特殊な雇傭関係にあることが認められ、この特殊な関係からすれば、駐留軍労務者のいわゆる保安解雇を規制する労務基本契約第七条及び成立に争のない乙第六号証によりその条項に基く解雇の基準と手続とを定めたものであることが明白な附属協定は、いずれも単に協定の当事者たる日本国とアメリカ合衆国(駐留軍)との間における契約としての効力を有するにとどまらず、駐留軍労務者と日本国或いは駐留軍間においても拘束力を有するものと解しなければならない。

しかして、右労務基本契約第七条には「契約担当官において日本国政府が提供した労務者を引続き雇傭することが合衆国政府の利益に反すると認める場合には、即時その職を免じその雇傭を終了するものであり、契約担当官のこの決定は最終的なものとする。」との一般条項があり、その解雇の基準と手続とを定めた附属協定には、保安解雇の基準として第一条a頂において、「(1) 作業妨害行為、牒報、軍機保護のための規則違反、またはそれらのための企図、もしくは準備をなすこと。(2) 合衆国側の保安に直接的に有害であると認められる政策を継続的に且つ反覆的に採用し、もしくは支持する破壊的団体または会の構成員たること。(3) 前記(1) 号記載の活動に従事する者または前記(2) 号記載の団体もしくは会の構成員と、合衆国側の保安上の利益に反して行動をなすとの結論を正当ならしめる程度まで常習的に或いは密接に連繋すること。」の規定があり、その解雇の手続として、「日本国側の提供した労務者が第一条a項に規定する保安基準に該当すると駐留軍側が認める場合には、日本国側は駐留軍側の通知に基き最終的な人事措置の決定があるまで当該労務者が施設及び区域に出入することを直ちに差止めること(第一条b項)。当該労務者が前記保安基準に該当するか否かを決定するに当り、駐留軍側は保安の許す限り該当理由をあらかじめ日本国側に通告するものとし、その通告に対して日本国政府は駐留軍側がその決定をなすに資する情報資料を駐留軍側に提供し、日本国側の意見及び見解を述べることができること(第一条c項)。駐留軍労務者が前記保安基準に照らして駐留軍側の保安に危険でありまたは脅威となると駐留軍側が決定した場合、日本国側は駐留軍側の要請に応じて当該労務者に対し必要な人事措置をとるものとすること(第一条d項)。」との規定、更にその実施細目手続として、「駐留軍の指揮官において労務者が保安上危険であるとの証拠またはその他の情報を得た場合は、直ちに当該労務者を駐留軍側の施設または区域から排除することができ、労務管理事務所長に対し当該労務者の出勤を停止するよう要求するものとし、労務管理事務所長は右要求に従うものとされていること(第三条)。駐留軍の指揮官において労務者が保安上危険であるとの理由で解雇するのが正当であると認めた場合は、駐留軍側の保安上の利益の許す限り解雇理由を文書に認めて労務管理事務所長に通知し、同所長は三日以内に意見を回答する。当該指揮官は更に検討の上嫌疑に根拠がないと認めればその後の措置をとらないが、労務管理事務所長の意見を検討してもなお保安上危険であると認めた場合は上級司令官に報告すること(第五条c項)。上級司令官は調達庁長官の意見も考慮の上審査し、保安上危険でないと認めれば復職の措置を、保安上危険であると認めれば解雇の措置をとるよう当該指揮官に命ずることとなり、上級司令官より解雇の措置をとるよう命ぜられた指揮官は労務管理事務所長に対して解雇を要求すること(第五条d項)。これにより労務管理事務所長は当該労務者が保安上危険であることに同意しない場合でも、解雇要求の日から十五日以内に解雇通知を発するものとすること(第五条e項)。」の規定があることが認められる。

このような労務基本契約及び附属協定の各条項に徴すると、駐留軍労務者が附属協定第一条a項の保安基準に該当するか否かの判断は、駐留軍側がこれを決定するに際し、日本国政府機関に意見陳述の機会が与えられておりこれを考慮した上で更に審査がなされ得るとはいえ、終局的には駐留軍の主観的判断に委ねられることとなり、日本国側は、駐留軍が保安基準に該当すると認定して解雇要求をした労務者については、たとえ当該労務者が保安基準に該当する事実を確認しない場合でも駐留軍側の判断に拘束されて、これを解雇することを約しているものというべきであるから、保安基準に該当する客観的事実があつて始めて、日本国政府は労務者を解雇できるものと解することはできない。

従つて、保安基準に該当する客観的事実の存在は解雇権行使の要件とはなつていないものといわなければならないし、また右附属協定は保安基準に該当すべき事実を明確にし解雇手続を慎重にした点において保安解雇につき駐留軍の恣意を制限したことは認め得るが、右保安基準に該当する客観的事実の存在する場合に限つて保安解雇をする旨解雇権を制限した趣旨には未だ解し得ないので、仮に原告の主張するように保安基準該当の事実が客観的に存しなかつたとしても、そのことの故をもつて直ちに本件解雇が無効であるということはできない。

(ニ) 次に、本件解雇が原告の主張するように労働契約における信義則に反し且つ解雇権の濫用であるかどうかについて判断する。

本件解雇は原告が附属協定第一条a項の(2) の保安基準に該当するものとしてなされたものであることは前記認定のとおりであるが、右基準に該当する事実の存在についてはこれを認めるに足りる証拠がない。

もつとも成立に争のない乙第七号証の一、二によれば、当時の極東空軍司令部における保安解雇事件の審理は、先ず極東空軍司令官の諮問機関である極東空軍保安審査委員会において慎重に審査され、更に同司令部内の他の関係幕僚機関によつてそれが当該労務者を保安以外の理由で排除する口実とされていないかを審査された上、司令官が最終的に保安基準該当の有無を決定する手続となつていたことが窺われ、本件解雇もまたそのような手続によつて処理されたものと推認できるけれども、このような手続を経たということから、直ちに原告に保安基準の(2) に該当する事実があつたと推測することはできないし、また証人八木正勝の証言により真正に成立したものと認められる乙第四号証及び同証言によれば、調達庁長官は本件解雇についての意見に附加して、原告が福岡県下において附属協定第一条a項(2) 該当のため解雇された元駐留軍労務者と当時私生活において密接に連繋していた、更に同県下において右協定第一条a項容疑団体の構成員と目される者を通じて同団体の機関紙を定期購読していたとの事実を掲げていることが認められるが、右事実自体は前記保安基準の(2) に該当しないことは明らかであり、かゝる事実が存したことから保安基準(2) に該当する事実が当然に存在したであろうと推認することもできないし、また調達庁が如何なる方法で調査したか判明しないが右に掲げる事実の存否すらも明確でない。却つて右のような事情からすれば、調達庁の調査によつても原告には保安基準(2) に該当の事実を発見することができなかつたと推測せざるを得ない。

そこで、このような事情のもとでは、原告は客観的には保安基準に該当する事実がないのに解雇されたと推認せざるを得ないが、それだからといつて、本件解雇が信義則に反し且つ権利の濫用であると速断することは許されないのである。要するに、駐留軍労務者は前記認定のごとく日本国に雇傭されているけれども、その直接の使用者は駐留軍であつて、その指揮監督を受け駐留軍の施設もしくは区域内において勤務するものである。しかして、駐留軍は日本国に駐留する外国の軍隊であつて、その性質上高度の機密保持を要求することは一応当然のことであるから、そこに勤務する労務者の雇傭関係は一般企業のそれと趣を異にするところがあつてもやむを得ないものといわなければならない。

そこで、このような駐留軍の特殊な地位乃至性格を尊重して、前記附属協定も駐留軍労務者が保安基準に該当するかどうかの判断は終局的には軍の主観的判断に委ねることとし、駐留軍から労務者の解雇要求があれば日本国としては、たとえ解雇の理由となつている具体的事実を示されない場合でも、また当該労務者が保安基準に該当すると考えない場合であつても、必要な人事措置をとることを約束しているのであつて、かかる協定を基本として締結されている原告と日本国間の本件雇傭関係においては、本件解雇が単に保安基準に該当しないとか、客観的に保安基準に該当すると認むべき具体的事実を明らかにせずしてなされたということだけで、その効力を否定しなければならないほど雇傭契約上の信義則に違反しているものとも認められないし、更には本件解雇が権利の濫用として直ちに無効になるものとも解し難い。

(三)  次に、本件解雇が原告の主張するように不当労働行為として無効であるかどうかについて判断する。

成立に争のない甲第一乃至第三号証の各一、二、同第四号証に証人松村善之助の証言及び原告本人尋問の結果を併せ考えると、原告は昭和二十五年七月頃から駐留軍労務者として被告に雇傭され、山田部隊の消防夫として勤務中、昭和二十八年五月山田部隊勤務の労務者によつて全駐労小倉支部山田分会が組織された際、その結成運動に参加し、同分会結成とともにその執行委員に選出されたが、当時右山田分会の組合員は周辺の農家出身者が多く部隊の所在地が都心部を離れた山間地帯にあることも加つて一般に組合意識が低調であつたところから、分会結成後の昭和二十八年の全駐労の統一斗争にも同分会だけは参加できないような状態であつたため、原告は機会あるごとにその組合意識を昂揚せしめて組合員の結束を図ることに努力していたこと、昭和二十八年八月の全駐労の統一斗争が終つた頃から山田部隊においても休憩時間の短縮その他労務者に対する仕事上の指揮監督がきびしくなり、駐留軍の組合活動に対する圧力が加えられるようになつたため、同部隊の消防係のうち殊に原告の所属していた班においては労務者十数名が揃つて組合を脱退するに至つたが、その際原告は独り組合に留つてその脱退を防止するように奔走したこと、その後原告は昭和二十九年三月選ばれて山田分会長兼小倉支部執行委員、青年婦人部長となつたが、同年夏頃山田部隊労務者村上賢児の班長格下げ問題が起きるや、分会長として組合員の低調な組合意識を昂揚するためにも必要であると判断してこの問題を取上げ、組合による斗争を計画し、山田部隊の門前で分会の総蹶起大会を開催したり、部隊から労務管理事務所までデモ行進をしたりなどして組合を結束し、スト権を確立した上で山田部隊の司令官と交渉した結果、昭和三十年四月から村上賢児を副班長に格上げするとの回答を得て右村上問題を一応解決することに成功したこと、しかしながらこの問題が起きてからは駐留軍側の原告に対する態度は一層冷たいものとなり、従来原告と挨拶を交わしていた同部隊の司令官も原告の挨拶に横を向くような状態になつていたこと、一方村上賢児は昭和三十年四月一日から副班長に格上げされることになつていたが、その一ケ月前に至つて他の数名の者とともに保安上の理由で出勤停止処分を受け、村上以外の者は間もなく復職したが村上だけはそのままとなり、さきの斗争の成功も名目だけのものとなつたので、原告は右村上に対する出勤停止処分を撤回させるための斗争に専従することとし、同年四月分会長を辞して分会の書記長となり、実力行使を含むあらゆる斗争態勢をとるよう執行委員会で決定するなどして斗争計画を推進していたところ、その最中の同年十一月八日原告自身が「保安上の理由」で出勤停止の通告を受け、次いで昭和三十一年九月二十二日同一の理由で解雇の通知を受けたことが認められる。

以上認定した各事実によると、原告は全駐労小倉支部山田分会の結成以来、組合の役員を歴任し、山田部隊における組合運動の中心人物の一人として活発な組合活動を展開していたこと、そのことのため山田部隊関係者から嫌忌されていたことは想像するに難くないところであり、このことに加えて、本件解雇が前記認定のごとく「保安上の理由」を名目としながら原告に保安基準に該当する具体的事実の存したことを認めるに足る証拠がなく、殊に本件解雇の前提処分としてなされた出勤停止の措置が、原告等において村上賢児の出勤停止処分撤回をめぐつて実力行使計画を進めている最中になされた事実を考慮するときは、駐留軍の本件解雇要求は専ら原告の組合活動をその決定的理由としてなされたものと推定せざるを得ない。

もつとも、成立につき争のない乙第七号証の一、二、同第八号証の一乃至三、同第十一号証の一乃至四によると、駐留軍は労務者が組合員であることや労働組合運動をしたことの故をもつて差別待遇その他不利益な取扱をしないことを建前としており、そして原告が解雇された当時の山田部隊司令官スプリツグ少佐が労務管理に優れた業績を残し一般の労務者からも敬服されていたことは一応認められるが、そのことだけでは未だ前記認定を覆えすに足りない。

しかして、他に原告に前記保安基準の(2) に該当する具体的事実が存在したこと及び駐留軍が右事実が存在すると認定したことを認めるに足る証拠も存しない以上、駐留軍の解雇要求、ひいては被告の本件解雇の意思表示は、結局原告の労働組合運動を理由とするものであり、労働組合法第七条第一号の不当労働行為に該当し、無効といわなければならない。

三、以上判断したところから明らかなように、本件解雇の意思表示は不当労働行為として無効であり、従つてまたその前提として右と同一の理由によつてなされた出勤停止処分も無効なものといわなければならないから、原告は依然駐留軍労務者として被告と雇傭関係にあるものというべき、原告は出勤停止処分を受けてから今日まで労働を提供していないが、それは被告の受領拒否に基因するものであるから原告は被告に対し賃金請求権を有するものと解すべきである。

しかして、原告が昭和三十年十一月八日出勤停止処分を受けるまでの過去一年間における平均賃金手取月額が二万八百七十七円であつたことは当事者間に争がないから、原告が出勤停止処分を受けた昭和三十年十一月八日以降少くとも毎月同額の賃金請求権を被告に対して有していることとなるが、成立に争のない甲第五号証によると、原告は右出勤停止処分から昭和三十一年九月二十二日の本件解雇に至るまでの間は右賃金額の六割を支給されたが、解雇されてのちは一切の賃金の支給を受けていないことが認められる。

そこで計算してみると、原告が不当な出勤停止処分を受けたことによつて得られなかつた賃金額は毎月平均八千三百五十一円(前記平均賃金手取月額二万八百七十七円の四割)で、出勤停止期間中の合計額は八万三千三百四円を超えること、また解雇されて以降昭和三十三年五月末日までに原告が得られなかつた賃金の合計額は約四十万二千二百円となること、すなわち原告が出勤停止及び解雇によつて昭和三十三年五月末日までに失つた賃金の総計は少くとも原告が本訴において請求する四十八万五千五百三十四円を超過することが算定される。

また被告の賃金支払い方法が前月分の賃金を翌月十日に支払うようになつていたことは原告の自認するところであるから、被告は原告に対し昭和三十三年六月分以降の賃金として毎月二万八百七十七円あてを翌月十日までに支払うべき義務がある。

よつて、原告の本訴請求は全部理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条を適用し、なお仮執行の宣言は本件に相当でないと認めるのでこれを附さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤野英一 倉増三雄 権藤義臣)

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